文楽 「近江源氏先陣館」と「伊達娘恋緋鹿子」

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12月の文楽の残り半分。本公演。
「近江源氏先陣館」は、前に歌舞伎で見た「盛綱陣屋」、「伊達娘恋緋鹿子」はつまり「八百屋お七」。

「近江源氏先陣館」は、残念ながら最初の二段が、大夫さんがだめだめ。なんだか、いままで聞いたなかでも最悪の、単なる大声合戦の怒鳴りあいで唖然。確かに若いうちはまず声を出せること、というのは分かるけど、金取って聞かせるレベルには行っていなかったと思う。やっぱり層が薄すぎるのかな。国宝級、出ないまでもお目付として付いてきて下され!
たいてい、歌舞伎と文楽と両方見ている人と話していて一致するのは、歌舞伎より文楽の方が安心。実力主義で芸がしっかりしているから最悪の外れはない(=歌舞伎は当たり外れの落差が大きい)ということなんだけれども、外れるときは大外れ、と思い知りました。まあ、後半は床が入れ替わって盛り返し、どうにか・・・。せっかくの勘十郎さんの盛綱もあれではねえ。
歌舞伎で見たときは、秀山祭のなかなか豪華な顔合わせで、吉右衛門、玉三郎、福助、芝翫ととってもよかった(めずらしくちょっと泣けた)ので、文楽も楽しみにしていたのだが・・・。
最初に出てくる子ども二人は、歌舞伎の時はあまり幼い子を使うので、戦場に幼稚園児が駆けだしてきたようで、これは足下ちょろちょろしてて
かえって邪魔でしょう、と思ったけれど、人形ではまあ小学校高学年〜中学生ぐらいで、ちゃんと若武者っぽく見えたのは納得、ではあったけど。

伊達娘の方は、やっと床も落ち着き、清十郎さんが華やかでよい演技を見せてくれて満足。八百屋お七、さすがに恋に狂って、恋人に会いたいだけで町にボーボー火を付けました・・・ではなく、盗まれたお家の重宝だの、お父さんが養子で火事に遭って、家を途絶えさせないために嫌な相手に嫁入りしてくれだの
、いろいろと話は納得できるように厚かった。火を付けたのではなく、半鐘を鳴らした、なのね。

お七が火の見櫓に上っていくところが見所。上らせていくしかけというかやり方は、だいたい予想通りでしたが、途中で首の操作はどうやっていたのかなあ・・・。上るときはさんざ身振りいっぱいで見せ場だらけだけれど、下りて駆けだしていくところはいつのまにか、あっ、もう下りてたのね、と後ろ側から(話に聞く屋久島の登山道のようでした=表は一日がかり、でも裏からは緊急用&地元の人用の簡単裏道あり)。

※歌舞伎で唖然とした、首改めの場面で、耳の穴に短刀突っ込んで首を回転させるのは無し。

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このページは、かえるが2009年12月23日 20:40に書いたブログ記事です。

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